古写真ページ始めます。
このページは、東京都写真美術館の専門調査員・三井圭司がお送りするページです。古写真の全国調査プロジェクト「夜明けまえ 知られざる日本写真開拓史」に関わるいろいろな事柄を随時アップします。調査のこぼれ話やちょっと裏話もできればと考えています。ご期待ください。
このページは、東京都写真美術館の専門調査員・三井圭司がお送りするページです。古写真の全国調査プロジェクト「夜明けまえ 知られざる日本写真開拓史」に関わるいろいろな事柄を随時アップします。調査のこぼれ話やちょっと裏話もできればと考えています。ご期待ください。
本プロジェクトの第一弾、「夜明けまえ 知られざる日本写真開拓史Ⅰ.関東編」が群馬県立館林美術館http://www.gmat.gsn.ed.jpへ巡回し、昨日からスタートしました。東京都写真美術館で見逃してしまった方も、そうでない方もぜひいらしてください。
さて、三井も火曜日から、作品展示のお手伝いに伺いましたが、とてもすてきな美術館です。現代の絵画・彫刻作品を展示することが基本の美術館だけあって、天井が高くて広い。写真美術館の収蔵作品としては大きい部類に入る「愛宕山から見た江戸のパノラマ」が小さいこと小さいこと。作品は本当に置かれる場所によって表情を変えますね。乞うご期待です。それから、今回の館林展では「館林スペシャル(勝手に銘々)」として近隣で個人の方が所蔵している写真を展示するコーナーもプラス。いろんな意味で東京都写真美術館とは趣の異なった展覧会に仕上がっています。
ここでちょっと余談。この周辺は麺文化で蕎麦が美味しい。美術館の近くにも美味しいおそば屋さんがあり、館林美術館の学芸の方といっしょに展示期間中のお昼ご飯を僕も食べたのですが、「一升ざる」というサイズ(4~5人前)のものもあり、圧巻です。すぐ近くに栃木県佐野市があり、こちらは佐野ラーメンが有名です。ちなみに多々良駅から美術館へ向かう道すがらには、鰻の美味しいお店もありました。こちらもおすすめ。
さて、学芸的な話に戻りますが、今回の展覧会出品作品について、先頃ちょっとしたニュースがありました。当館で出品した際には《男性胸像》とした小川一真による名刺判の肖像写真(金井家蔵・行田市郷土歴史博物館寄託)。この像主が確定ではないものの、同定できそうな資料が見つかりました。この写真は裏面に「富岡寫眞師小川製」とあります。小川一真は、明治10年に写真館を富岡製紙場の付近に開いたことが知られており、この写真はこの時の制作としてとても貴重なものです。この写真の像主の可能性が指摘されているのが速水堅曹(はやみ・けんぞう)氏。像主の遺族が群馬県立歴史博物館で開催されていた「幕末の写真師夫妻 島霞谷と島隆」展を訪れ、ここに展示しされていたパネル(オリジナルは本展に出品のため出品されていたのは複写パネル)を見て「似ている!」と指摘したことが発端。なお、速水堅曹氏は富岡製紙場の設立に寄与した人物で、1976年から80年と85年から93年の2回にわたって富岡製紙場の工場長をしている。現存する他の写真からも相貌に類似性が見出せる。ただ、「特定するには詳しい調査が必要」というのが、群馬県立歴史博物館の梁瀬氏の見解(「上毛新聞」平成19年6月24日)です。
さてさて、館林美術館で開催される本展では、件の写真のほか、速水堅曹氏の資料をパネルで展示している。さて、果たして小川一真が撮影したのは、速水氏か否か。ぜひ会場で確かめていただきたいです。
今後も本ページでは、巡回の話や古写真調査に関わるさまざまな報告などを掲載します。
どうぞお楽しみに。
Ⅱ.中部・関西編(仮)の調査第一弾です。
あれ?福井は中部地方でも関西地方でもないぞ!とおっしゃる方も多いと思います。でも、入れちゃう。予定では、静岡から山口までをⅡでフォローしようと思っています。ちなみに、Ⅰのチラシの段階では、まだⅡが四国・九州編となっていますが、四国・九州編はⅢを予定しています。
さて、福井市立郷土博物館。
こちらはすごいです。福井藩最後の藩主・松平春嶽公が洋学へ興味を持っていたということもあり、こちらの収蔵品は第一級です。まず日本で最初の営業写真師・鵜飼玉川(うかい・ぎょくせん)の写真。アメリカ様式の皮ケースやベークライトのケースに収められています。
当館収蔵の〔田中光儀像〕と類似した皮ケース入りの〔勇姫(いさひめ)像〕
そして、なんと〔堆朱(ついしゅ)カメラ〕!
国内では、三つしか見つかっていません。
下岡蓮杖とかかわりの深いアメリカ商人・ショイヤーとの関わりが指摘されていたり、「幕末に国産のカメラメーカーがあったのでは!?」と指摘する人があったりする一品です。いまだに多くの謎に包まれているこのカメラですが、実際目にすると、とても美しく、そして、案外大きい。かなり興奮しました。

さてさて、最後に恒例となりつつあるおいしいもの情報。
福井はそば文化圏。
なかでも、おろし蕎麦は絶品です。
ちなみに僕がうかがったお店では、メニューはこのおろし蕎麦のみ!でした。
今日は展示作品について。
チラシや館林美術館のwebなどで紹介されているように、「夜明けまえ 知られざる日本写真開拓史Ⅰ.関東編」には、1854年に撮影・制作されたダゲレオタイプ(銀の板を使用した世界初の方式)の写真が出品されている。これはペリー提督率いるアメリカ艦隊が日米和親条約を締結するため、前年に続き来航した際に撮影されたもの。この時の写真は国内で5点、国外に1点(アメリカ・ビショップ博物館蔵)それぞれ異なる画像のものが発見されています。国内のものはすべて国指定重要文化財に指定されています。本展では、前期・後期それぞれに1点ずつ展示します。
ダゲレオタイプは、鏡面に磨き上げた銀の板に映像を結晶化させるもので、とにかく驚くほど鮮明で美しい画像です。この技法でサムライの姿が撮影されて現存しているのですから、必見は間違いなしです。
そして、本展ではもうひとつの国指定重要文化財が出品されています(前期後期の展示替えがあるので、正確には2点)。これが横山松三郎による江戸城の写真です。
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横山松三郎《(江戸城大手門)》明治4(1871)年 東京都江戸東京博物館蔵
国指定重要文化財
この写真は、コロディオン湿板方式によるネガ原板です。この時代はガラスがとても貴重でした。特に原板に使えるような平滑で気泡の少ないガラスは高価だった。そして、コロディオン湿板方式という写真方式は、乳剤層(コロディオン層)を剥がし落とすことが比較的容易なため、原板用のガラスをリサイクルして使用することがしばしばであったといわれています。この点だけとっても、この原板が現存すること自体とても貴重なのです。そして、原板を見ると上部に紙が貼られていて、その下には黒い部分がある。ネガ原板の最暗部ですから、プリントで考えると最も明るい部分ということになります。画面上でいうと、空の部分です。
コロディオン湿板方式の最暗部は灰白色ですから、露光によって黒い部分が生じることはありません。この黒い部分、墨なのです。
簡単に言ってしまうと、抜けるような空を表現するために修正を施してあるわけです。「修正」というと現在のフォトレタッチを思い浮かべてしまいがちです。レタッチした写真は、写真という枠から離れてしまうような印象さえあります。でも、当時の修正は、現在とは意味が異なります。一番違うのは、感光材料の感度です。以前、コロディオン湿板方式のワークショップを当館で行った時に測定したのですが、ISOに換算すると0.1~1しかありません。現在のデジタルカメラの設定は、基本が100~200ですから、極端にいうと二千分の一ということになります。ここまで感度が低いと、空を撮っても雲がブレてしまいかねないわけです。
つまり、実際に見えるものと違うものになってしまう。それならば、その部分を塗りつぶして、抜けるような空を作りたい。これは当然の成り行きのように思えます。しかし、言うは安し、行うは難し。実際にこの原板の墨の部分を見ると実に細かく手が入っている。当時の写真師にとって、筆を使うことは必須だったと実感できるのです。
幕末~明治時代初期の写真は、決して光学を用いた化学的な像だけで成立し得なかった。何らかのかたちで人が手を入れて画像を成立させていたと考える方が自然なのではないでしょうか。そう考えると、下岡蓮杖の名刺判や日下部金兵衛のアルバムに見られる手彩色のカラー写真というのも、自然なものに感じられませんか?
機械的に高度化する以前だからこそ、高度な技術を必要としたのだと考えると、古写真の面白味が一層深まるのではないでしょうか。
最後にひとつだけ、ご注意。この《(江戸城大手門)》(前期のみ展示。後期からは《(江戸城本丸書院二重櫓と重箱二重櫓》)は、あくまでネガ原板です。アンブロタイプと違い、それ自体を観るものではなく、あくまで鶏卵紙にプリントするためのものです。だから、とても濃度が高く、現在のネガフィルムを普通の光で観ることが難しいのと同様、画像自体はとても見にくいものです。本展では、先に述べた修正の部分を観て戴き、写真と手業の距離の近さを知って戴く目的で展示しています。
何が写っているかではなく、どうやって原板を作ったのかを是非堪能して下さい。
さて、最後に恒例となりつつあるおいしいもの情報。
館林のお隣はすぐに栃木県佐野市です。こちらには、珍しい「耳うどん」のお店があります。太いうどんをくるっとまとめて茹でてあります。ちょっとかわった食感で、個性的です。なぜかそば湯が出てくるのもちょっとミステリアス。美味しかったですよ。
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他ではなかなか味わえないものですから、ぜひお試しを。オススメです。